戦後日本が独立する「サンフランシスコ平和条約」が発効して、きょうでちょうど70年。2013年には第2次安倍政権の主導で、政府主催による「主権回復の日」式典が行われた。これに対して、70年前はまだ米国施政権下にあった沖縄からは「屈辱の日」という声も上がった▼主権回復の意味では島根にとっても「痛恨の日」であったと記憶せざるを得ない。竹島問題が未解決だからだ。建前では条約発効により国際法上、日本への帰属が改めて確認されたことになるが、実態は、現在も韓国が不法占拠している▼当時の外交現場を推し量る術(すべ)は乏しいものの、条約発効3カ月前には、韓国側が一方的に竹島周辺を含む地域の海洋主権を宣言する「李承晩ライン」という〝事件〟もあったわけだから、国際社会への念押しが足らなかった▼竹島漁業の拠点だった島根県五箇村(現隠岐の島町)で収入役や漁協組合長を務めた八幡才太郎氏が遺(のこ)した日誌によると、戦前に計画が頓挫していた竹島開発のための母船や操縦船の建造を、戦後の混乱期に改めて断念せざるを得なかったとある。財政難が背景にあったとみられるが、これを国があえて支援して姿勢を見せておれば、その後の日韓交渉での領土問題棚上げという結果も、違った展開になったのではないか▼戦争で領土を奪うのはもってのほかだが、押すところは押す必要があると、この日に思う。(万)