劇作家の行友(ゆきとも)李風(りふう)(1877~1959年)になじみはなくても「春雨じゃ、濡(ぬ)れて行こう」の台詞(せりふ)は年配の方なら聞き覚えがあるだろう。『国定忠治(くにさだちゅうじ)』とともに、かつて新国劇の看板演目だった『月形(つきがた)半平太(はんぺいた)』の名場面だ。幕末の志士を描いたこの作品はその後、度々映画化され、近年は歌舞伎にもなったと聞く▼その作者が、新国劇の専属作家だった李風だ。尾道(広島県)出身の李風には、実は1961年に映画化された松江松平藩7代藩主・松平治郷(はるさと)(不昧(ふまい))を主人公にした『はやぶさ大名』という作品があり、以前から気になっていた▼日本映画のデータベースで確認すると、東映製作で白黒の87分。主人公の治郷には片岡千恵蔵が扮(ふん)し、山城新伍や花園ひろみさんの名前も並ぶ。藩主になった治郷を憎む老中・田沼意次が藩の取りつぶしを狙う筋書き。家老の朝日丹波や長身のお抱え力士・釈迦ヶ嶽(しゃかがたけ)が登場し、安来節の場面もあるようだ▼李風がなぜこの作品を書いたのか-。推測でしかないが、尾道には明治の初めまで松江藩の米や産物を扱う「出雲藩屋敷」があった。また大阪で演芸記者をした後、李風が劇作家として活躍した大正期には、百年忌に合わせて治郷の伝記『松平不昧伝』が刊行された。安来節が大阪で人気を集めたのも同じ頃だ▼こうした時代背景もあったのだろう。千恵蔵扮する治郷の名台詞が今も残っていればと思う。(己)