セミオープンシステムでお産を担う島根県立中央病院で、胎児の様子をエコーで確認する妊婦(手前)=出雲市姫原町4丁目
セミオープンシステムでお産を担う島根県立中央病院で、胎児の様子をエコーで確認する妊婦(手前)=出雲市姫原町4丁目

 出雲市内の産科の開業医と、島根県立中央病院(出雲市姫原4丁目、県中)が連携してお産を担う「セミオープンシステム」が今年1月にスタートした。妊婦健診は身近な開業医、分娩(ぶんべん)はスタッフや設備がそろう県中が受け持つ。

 昼夜問わず対応を求められる診療科で、それぞれに過度な負担集中が起こらないよう考えられた病診連携の一つ。医師不足や、高齢化に伴い開業医でお産ができない県西部でも行われているが、出雲市のケースは様相が異なる。

 「働きながらの妊婦生活なので近くの医院で健診できるのはありがたい。大きな病院で産める安心感もある。どちらも利用できる選択肢があってよかった」

 こう語るのは、システムを利用して第1子を出産予定の出雲市白枝町の会社員布野亜以さん(36)。「選べる」というのが大きなポイントだ。

 ほかに、危険度が高い未熟児の出産に対応する島根大医学部付属病院(出雲市塩冶町)がある出雲市は、圏域だけでなく県全体の「周産期医療の牙城」。県内で2020年に誕生した4788人のうち、同市で36・4%の1743人が生まれたという数字も、これを裏付ける。

 市内七つの開業医などが参加し、県中と共に始めたシステムは、子育て世代の選択肢を広げつつ、新たな安心につながるものだ。

▽島根医科大誘致

 21年県勤務医師実態調査によると、県内の常勤医師の勤務先は出雲市内の医療機関がほぼ半数の46・8%(571人)。数字の元をたどれば、県中と島根大病院の歴史がある。

 「中央病院30年誌」で県中の歩みを振り返ると、現在市役所となっている市中心部に1940年に私立松乃舎(まつのや)病院として開設され、48年に県立病院となった。内科、外科、産婦人科、小児科、耳鼻咽喉科の5診療科、病床数80だった。

 当初は結核患者を中心とし、その後は疾病構造の変化に伴う病床整備や診療科の開設を重ねた。99年には電子カルテシステムを導入した新病院が現在地で開院。現在40診療科、568床となっている。

 一方、県内最多の600床(35診療科)を抱える島根大病院の開院は、島根医科大(現島根大医学部)の開学4年後の79年だった。

 地域医療の担い手を育成するための「1県1医大」構想に基づく新設医大の誘致に、出雲市は、先に話が進んでいた松江市との綱引きを経て成功。島根医科大開学10周年記念誌の「全県のほぼ中心にあり医療の波及効果が期待でき、関連教育病院として中央病院がある」との記述から、決め手の一つに県中の存在があったことが分かる。

▽実情に応じた介護

 「安心のインフラ」とも言える医療体制の充実。周産期のみならず、例えば、通常の救急医療に加え、「高度救命救急センター」に県中、「高度外傷センター」に島根大病院が指定され、特殊な疾病や重い外傷もカバー。万が一の場合「いつでも」という環境がある。

 医療と連携し、高齢化の進行とともによりきめ細かな対応を迫られた福祉分野も、他に先んじてきた。

 その一つが「介護の社会化」をうたい2000年4月に始まった介護保険制度の運用でもみられた。福祉の専門家でつくる介護認定審査会で、認知症を専門にした「精神班」を設置。国のコンピューターを使った一次審査では見分けにくい認知症の症状を、医師を加えたメンバーで判定。実情に応じた介護につなげた。

 「医療や福祉の先駆者が多く、専門的な体制を組みやすかった」と市健康福祉部の金築真志部長が振り返る。当時は審査の担当職員だった。島根医科大などと連携し、医療、福祉のネットワークをつくり「ぼけても安心して暮らせる地域」を目指して論じ合った。安心の素地がこうしてつくられていった。 (平井優香)