「昭和47年7月豪雨」で氾濫した松江市内
「昭和47年7月豪雨」で氾濫した松江市内
豪雨で新聞社の印刷工場も水浸しになった
豪雨で新聞社の印刷工場も水浸しになった
「昭和47年7月豪雨」で氾濫した松江市内
豪雨で新聞社の印刷工場も水浸しになった

 「あの時はバケツで水をかき出してなぁ」。先輩社員から何度となく聞かされた「昭和47年7月豪雨」の時の奮闘記だ。ちょうど50年前の7月12日。当時、宍道湖岸の松江市袖師町にあった本社社屋にも宍道湖からあふれた水が押し寄せ新聞印刷用の輪転機が水に漬かった▼先輩たちの奮闘と排水ポンプの力で何とか通常の半分、8ページ建ての新聞を発行したものの、市内では家屋約2万棟が浸水した。月初めに宍道湖大橋の渡り初めをした人をはじめ市民の多くが、まさか宍道湖があふれるとは思っていなかっただろう▼当時の紙面を振り返ると「大雨で県西部中心に被害」の記事が地域面に載ったのは前日の11日。翌12日付は1面に「戻り豪雨 県下を急襲」の大見出し。8ページ建てにした13日付は「暴れづゆ猛威ふるう」として「死者・不明25人」「宍道湖はんらん」「浜田で616ミリ」などと伝えている▼雨は13日に小康状態になり復旧作業が本格化。17日には梅雨明けした。しかし、被害は県内ほぼ全域に及び、総額840億円に達した。この時に降った量は年間雨量の3分の1に匹敵したそうだ▼ところが翌年は、逆に7月の雨量が極端に少なく干ばつ被害が出た。松江市では給水制限が長期間続き、人工降雨実験をしたほど。今年は異例の早さで6月中に梅雨が明けると猛暑に突入。その後は不安定な天気が続く。この時季の天候は気まぐれだ。(己)