飛花落葉とは、花が風に散り、木の葉が秋に落ちるように、世の移り変わりは無常であることのたとえ。夏目漱石の『吾輩は猫である』にも登場する▼移り変わりは激動だったが、そんな情緒的な表現は似つかわしくないかもしれない。ちょうど1年前、新型コロナウイルス感染拡大防止により無観客の中で開会式を迎えた東京五輪のことである▼コロナ禍での大会延期は仕方ないにせよ、開催経費は招致時に見積もった7340億円の2倍近い1兆4238億円に膨らんだ。東日本大震災からの「復興五輪」や、半径8キロ圏内に85%の会場を集中させるとした「コンパクト五輪」の理念は早々に頓挫。招致成功に導いた〝お題目〟は、落ち葉のような軽さだったのだろうか▼米オレゴン州で開かれている陸上の世界選手権が、日本勢の活躍で盛り上がっている。その3年後の開催地に、東京五輪のメイン会場だった国立競技場が決まった。今度こそ満員の観客で埋まりそうだ。ただ、練習用サブトラックがなく、代替施設からの輸送方法や100億円を超えるとされる開催経費の問題など課題も多い▼思えば国立競技場は本来、五輪閉幕後はトラックを撤去して球技専用とする方針だった。猫の目のように変わるのは国の施策も同じ。われわれ国民のためになるのならいいが、国費ばかりが積み上がり、血税が落ち葉のように舞い散るのは勘弁願いたい。(健)