宍道湖の夕日(資料)
宍道湖の夕日(資料)
「教師の短話 梅の花」と「ガラスのうさぎ」
「教師の短話 梅の花」と「ガラスのうさぎ」
宍道湖の夕日(資料)
「教師の短話 梅の花」と「ガラスのうさぎ」

 終戦10日前の1945年8月5日。疎開先の神奈川県二宮町から新潟へ引っ越すために向かった駅で米軍機の機銃掃射に遭い、13歳の少女は父親を亡くす。3月の東京大空襲で家は焼け、母親と妹2人も行方不明だった▼少女は役場で埋葬許可をもらい、父親の遺体と、焼くための薪(まき)を積んだ荷車で火葬場に向かう。遺骨を抱いて帰る途中<海を夕日が真っ赤にそめて沈んでいくところだった>。児童文学作家の高木敏子さんが、自らの体験を綴(つづ)った作品『ガラスのうさぎ』の一場面だ▼その高木さんが35年前、松江市で講演していたことを出雲市平田町の元教員、生馬明子さん(86)が自費出版した『教師の短話 梅の花』で知った。それによると、案内した人が「宍道湖の夕日はきれいですよ」と話すと、高木さんは「私は夕日は見たくありません。悲しくて見られないのです」と。つらい記憶がよみがえってくるのだろう▼この話は、生馬さんが7年間、毎週火曜の学級朝礼で続けた「短話」と呼ばれる5分程度の話の一つ。退職から25年たったのを機に今春、うち約50話を本に収めた。自分の体験だけでなく新聞の記事やコラム、投稿からも題材を探し、原稿にまとめてから児童に話したそうだ▼講演で「どうか戦争を起こすような子どもを育てないで下さい」と訴えた高木さん。その思いは、生馬さんを通して教え子たちにも届いているはずだ。(己)