世の中に絶対の「安全」はない。一方で「安心」は常に100パーセントを求める。ギャップを埋めるには、リスクをきちんと説明して対応に納得を得る努力が必要だ。ことさら安全性を強調すれば逆に不信感を招く。「安心」を担保するのは政府や事業者への信頼で、約束や責任が口先だけに映るようなら難しい▼福島第1原発の処理水を海に放出することが決まった。放射性物質トリチウムの濃度が規制基準の40分の1未満になるよう海水で薄め、2年後から始める計画。事故から10年たち風評被害が薄まったところだけに漁業関係者からは反対の声が上がる▼健康への影響は少ないとされるトリチウムの海洋放出は国内外で実績がある「現実的な選択肢」だという。同原発のトリチウムの放出管理目標値は年間22兆ベクレル。敷地内に貯留される約860兆ベクレルを、毎年22兆ベクレル以下で放出すると30年以上かかる▼今回の決定では欧米や周辺国の放出例も示され「どこの国もやっている」と言わんばかり。しかし、それでは「みんなで渡れば怖くい」の発想と大差ない▼やっと足並みが揃(そろ)った地球温暖化の問題も、世界で認識され始めたのは1980年代の後半からで、温室効果ガスの排出も「どこの国もやっている」ことだった。環境や公害問題の歴史は、科学的知見にも「絶対」はなく、変わる可能性があることを教える。だからこそ信頼が欠かせない。(己)