山本幡男さんの生家跡に完成した顕彰碑を囲む「山本幡男を顕彰する会」のメン
バーたち=10月30日、島根県西ノ島町美田
山本幡男さんの生家跡に完成した顕彰碑を囲む「山本幡男を顕彰する会」のメン バーたち=10月30日、島根県西ノ島町美田

 「シベリアの九月は、すでに冬の始まりを告げている」―。日本では夏から秋へと変わる時期。想像すらできない環境が伝わる一文は、『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(辺見じゅん著)の冒頭にある▼同書はあす公開の映画『ラーゲリより愛を込めて』の原作。戦後シベリアに抑留された島根県西ノ島町出身の山本幡男にまつわる逸話が描かれている。ラーゲリは旧ソ連の強制収容所で、抑留者が過ごした場所だ▼7年前、鳥取県大山町の元抑留者を取材した。男性は旧満州に渡り、戦後シベリアへ送られた。風呂もなく食事もろくに与えられず、寒さは死者の衣服を着てしのいだ。「トーキョー、ダモイ(帰国)」と希望を持たせる言葉を言いながら強制労働を強いるソ連兵。過酷な生活に「早く死んだ方がいいと思った」。そのつぶやきを書き留めたノートの文字がにじんで見えたのを思い出す▼『ラーゲリ―』では、山本が「白(しら)樺(かば)派になっちゃおしまいだよ」と決まって話したと記す。武者小路実篤に代表される作家一派「白樺派」ではない。遺体をシラカバの根元に埋めるから。「かならず帰れる日がくる」と励まし続けた山本は古里の土を踏むことなく病死した▼厚生労働省は2日、新たに10人の抑留死亡者の身元を特定した。戦後77年がたっても極寒の地には多くの遺骨が残されたまま。きょうは太平洋戦争開戦の日。抑留生活の原点である。(目)