自宅の奥にあった段ボール箱から取り出された書物は、古いもので70年以上になるという農村歌舞伎の台本。流れるような毛筆で書かれた内容を、伝統を受け継ぐ「出雲歌舞伎むらくも座」の座長、渡部良治さん(73)=出雲市佐田町大呂=が読み解き、一座が秋の定期公演で新作として披露している。
先人の手あかも汗も染み込んだ黄ばんだ表紙を開くたびに、気持ちを奮い立たせる。「文化を途絶えさせるわけにはいかない」と。
▽佐田にしかない
1960年まで、旧佐田町で「秋祭りの余興」として親しまれた農村歌舞伎。高度経済成長期、出稼ぎで若い労働者が町を離れ、テレビの登場などで娯楽が多様化する中、担い手不足によって途絶えた歴史をつないだのが、渡部さんら地元青年団のメンバーだった。「ふるさと運動」が盛り上がっていた75年のことだ。
「佐田にしかないものを掘り起こしたかった」と渡部さん。郷里の原風景として「大きくなったら自分も」と脳裏に焼き付いていたのが「歌舞伎」だった。
その年の秋祭りの復活公演を皮切りに、町外、島根県外でも出張公演を重ね、ポルトガル・リスボンやイタリア・ナポリなどでの海外公演にも成功。かつて地元中心だった観客は、「出雲市佐田町」となる合併前の時点で既に県外からも訪れるようになっていた。
2005年3月末の合併後、さらに、うれしい変化があった。公演のたびに顔見知りではない人が増えていった。
客席の9割は、旧佐田町エリア以外からやって来るファン。佐田の伝統継承者たちは「出雲の一座」として看板を背負い、舞台に立った。渡部さんは「身の引き締まる思いだった」と振り返る。
▽きっかけ生む力
団員は現在、裏方を含め30~80代の25人。「離れても支えることはできる」と、30年以上にわたり町外から稽古に通い続ける出雲市下横町の会社員野村敏治さん(62)のような例もあるが、団員の高齢化が進み、役者の数が多い時の20人から12人まで減る中、一人で何役もこなしながら成り立つ舞台の負担感は年々増している。
合併前の旧7市町の中で、23年2月末現在の人口2854人は最も少なく、高齢化率49・5%は最も高い。人口減少や高齢化という厳しい課題といや応なく向き合う山あいの地域で、伝統継承に手をこまねいてはいられない。
22年11月。新型コロナウイルス禍の影響で中止が続き、3年ぶりの開催となった定期公演で、会場のスサノオホール(出雲市佐田町反辺)の舞台には団員と共に、アイルランド、ブラジル、フィンランドなどの市国際交流員が立ち、地元の小学生の子ども歌舞伎もあった。
「伝統文化には別の地域や世代と関わるきっかけを生み出す力がある」と信じる渡部さん。外国人や小学生を含め市全域から団員を募る考えで、車で30分ほどの市中心部にも稽古場を設けて参加しやすい環境づくりも検討する。
手元に残る55演目の台本のうち、これまでに演じたのは43演目。「舞台と客の一体感」という農村歌舞伎の魅力が共有できる喜びを、ファンや担い手の輪を広げながら、これからもつないでいくつもりだ。 (佐野翔一)
=第5部おわり=