学びは大切で、不快な目に遭っても、時に寛容な気持ちになれる。先日、大山で下山中、登山道脇で鋭い痛みが走った。キク科のアザミに当たり、葉のとげが太ももをチクリ。手元の植物図鑑にとげは植物が動物に食べられないよう発達させたとある。「君はこうして身を守り生きているんだね」と、しみじみした▼日本の植物分類学の父とされる牧野富太郎(1862~1957年)をモデルにした連続テレビ小説『らんまん』に触発され植物を調べると、生存方法の合理性に驚く▼サトイモは暗い森で光合成に必要な光を得ようと、大きな葉を持つ。半面、巨大な葉は熱や水分を失いやすく、松やサボテンは寒さや乾燥に適応するため針状にして表面積を減らした。花や茎も色、形に英知がある。魅力の数々を本で学べるのは、牧野ら先人が採取で野山を回ったおかげだ▼各地を歩いた点で民俗学の宮本常一(1907~81年)も見逃せない。歩行距離は地球4周分に及ぶとの説もある。本紙で連載中の「写真家・石川直樹 島根半島を往く」は、ヒマラヤ登山を続ける石川さんの視点で島根半島も巡った宮本の足跡を追った▼牧野は植物を、宮本は人々の営みを見つめた。功績は確かでも、ひっそりとしている。多様性の喪失が懸念される今、そんな人物にこそ光を当てたい。土にまみれた歩みの中に、ドキリともズシリとも刺さる感動があるはずだ。(板)