「原爆の日」を迎え、原爆慰霊碑の前で手を合わせる人たち=2022年8月6日、広島市の平和公園
「原爆の日」を迎え、原爆慰霊碑の前で手を合わせる人たち=2022年8月6日、広島市の平和公園

 <八月や六日九日十五日>。戦後78年になる今年も、この時季が巡ってきた。広島、長崎への原爆投下と、終戦を告げる昭和天皇の「玉音放送」が流れた日付が並ぶこの句は、俳句の世界では、よく知られているという▼「歴史探偵」を標榜(ひょうぼう)した作家の半藤一利さん(1930~2021年)が著書で紹介していた。「八月や」を「八月は」や「八月の」に変えた句も多く作者未詳とされていたが、長崎県出身で海軍兵学校と、被爆者の診療を経験した広島県の医師が31年前に詠んだことが分かったのを契機に作者探しが進展しているらしい▼ただ昭和が遠くなり、この俳句の日付と句意がピンとこない世代も増えているようだ。半藤さんは、若い人にこの句を示しても「何ですかこの句は? という顔をされる」と▼それもそのはず。昨年10月1日現在の推計人口では、戦後生まれが既に1億900万人近く。全体の87%を占め、戦争の記憶がある人は、もう10%程度しかいなくなった。時の流れとともに消滅していく記憶を補うには、歴史から学ぶしかない。ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに世界の分断が進む今は、なおさらだ▼詩人・石垣りんさん(1920~2004年)の詩の中に、こんな一節がある。<戦争の記憶が遠ざかるとき、戦争がまた私たちに近づく。そうでなければ良い。>。戦争を経験した世代からの申し送りのように聞こえる。(己)