山陰地方と山陽新幹線のリレー役として出雲市ー岡山間を走る「特急やくも」は1959~65年の間、準急として米子ー博多間を結んでいた。米子市立山陰歴史館で開催中の企画展「大ヘッドマーク展」で当時のやくも号のヘッドマークが目に留まり、その歴史を初めて知った▼直径85センチ。黒ずんでいるが、山陰と都市圏を結ぶ交通史を物語る貴重な資料だ。米子ー京都間を結んだ「特急あさしお」のヘッドマークもある。60年代には急行として出雲市-金沢間を結んでいた▼高度成長期、山陰両県の鉄道網は今から考えると意外な行き先と結ばれていた。東京一極集中とは違う人の流れがあったのが興味深い。山陽新幹線が72年に新大阪-岡山間、75年には岡山-博多間で開業すると、山陰発着の長距離列車も少しずつ姿を消した▼木次線経由で米子ー広島間を走った「急行ちどり」は国鉄民営化後も残ったものの、90年に山陰線と木次線への乗り入れがなくなった。陰陽連絡線は高速バスと特急やくもなどが担い、2018年3月末には三江線が廃止に。JR西日本は芸備線の一部も沿線自治体と在り方について協議を始める意向だ▼23年度末でトロッコ列車「奥出雲おろち号」の運行が終了する木次線。終点の備後落合で芸備線が絶たれると行き止まりの盲腸線となり、さらに廃れる懸念がある。童謡のように「線路は続く」ことに意義があるのに。(釜)