加納莞蕾の生涯をテーマに、地元の広瀬中学校で講演する三島房夫さん(2011年撮影)
加納莞蕾の生涯をテーマに、地元の広瀬中学校で講演する三島房夫さん(2011年撮影)

 第2次世界大戦後、フィリピンで服役する日本人戦犯死刑囚の助命を求めて、歴代の大統領らに英文の嘆願書を送り続けた安来市広瀬町布部出身の画家・加納莞蕾(本名・辰夫、1904~77年)の書簡や返書など334通の邦訳本が先ごろ出版された▼氏の業績は近年の研究、顕彰活動で広く知られるところだ。50年前に莞蕾の絵を見初めたことから知遇を得て、こつこつと作業を進めた市内の元英語教員三島房夫さん(83)に敬意を表したい▼今後の課題は、この出版で整理された資料「加納辰夫文書」の存在を私たちがどう受け止め、後世に生かしていくか、ではないか。莞蕾が英文書簡を送るに当たっては、その都度原文を英訳し、返書を和訳して莞蕾に届けた菩提(ぼだい)寺の住職で英語教師の村上光隆さんをはじめ、周囲のあらん限りの助けがあった。つまり莞蕾だけではなく、先の大戦を反省し、平和を希求する島根県民の思いが詰まっていると言える▼だからこそ史実として語り継ぐべきであるとともに、「赦(ゆる)し難きを赦した」フィリピン側の返書も併せて、「島根の戦争遺産」として文化財にきちんと位置づける取り組みが必要だろう▼戦闘が激しさを増すロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナの関係の行く先は、依然として見えない。こうした混沌(こんとん)の中での出版が、暗闇に差す一筋の光明にならんと願うことは、単なる夢想に過ぎないのか。(万)