雲南市三刀屋町の馬場と若宮の両自治会が設置した馬場遺跡の説明板と「平安貴族 供養之碑」と刻んだ石碑=出雲市三刀屋町
雲南市三刀屋町の馬場と若宮の両自治会が設置した馬場遺跡の説明板と「平安貴族 供養之碑」と刻んだ石碑=出雲市三刀屋町

 平安京に都を移した桓武天皇の母親は出雲の人だった?-。先日、雲南市三刀屋町の古刹(こさつ)・峯寺へ向かう途中の説明板に目を奪われた。高速道路の建設に伴って発掘された中世の「馬場遺跡」について地元自治会が建てたものだ▼遺跡の目玉は平安中期の墳墓で、副葬品から貴人と推測されているという。説明は続く。「光仁天皇は后(きさき)に美貌の賢女を出雲塩冶から迎え、吉祥姫と名乗らせて皇子を出産(後の桓武天皇)」▼この説は、出雲市朝山町の岩根寺の縁起によるようだ。近くの塩冶町の信者夫婦が祈願し、授かった娘が、光仁天皇の夢に出てきた姫の姿にそっくりで、さらには枕元に現れた履(くつ)が娘の足にぴったりと合ったという。まさにシンデレラ伝説▼国史では桓武天皇の母は、父方の祖が百済の武寧(ぶねい)王である高野新笠(たかののにいがさ)。上皇さまが2001年の誕生日会見で「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」と発言された。その母親は土師真妹(はじのまいも)。土師氏は第13代出雲国造野見宿禰(のみのすくね)を祖とする氏族で、出雲との関係が少し見いだせる▼説明板から目線を下げると「平安貴族 供養之碑」があった。馬場遺跡の墳墓の主は桓武天皇が晩年、母の慰霊の寺を出雲市内の山に建てるのに関わった人と推測されるとも記してあった。伝承が真実味を帯びて聞こえるのは、出雲の歴史の深さゆえか。(衣)