1894(明治27)年に創刊された「汽車汽船旅行案内」は、日本初の本格的な月刊時刻表とされる。手がけたのは、益田市の隣、現在の山口県萩市須佐出身の手塚猛昌(1853~1932年)。「時刻表の父」と刻まれた顕彰碑がJR須佐駅前に立つ▼長州藩の永代家老・益田家の家臣の家に生まれ、下級武士の貧しい生活ながら勉学に励み、33歳の老書生として慶応義塾に入学。卒業後、恩師の福沢諭吉に勧められ、英国の時刻表を手本に発刊にこぎつけた。鉄道網が全国に広がりつつあった当時、移動の利便性向上に大いに寄与したに違いない▼時代は変わり、スマートフォンの普及で発着時刻をデジタルで簡単に調べられるようになり、情報を網羅した厚手の一冊をめくる機会は減った。経費削減を目的に駅で無料配布されるポケット版やホームの時刻表案内板までも姿を消している▼時刻表が刷新されるダイヤ改正は便利になるのと逆行して減便したり、終電の時間を繰り上げたりするケースが目立つ。それどころかバスを含め地方のローカル線は時刻表の欄からそっくり消える危機に瀕(ひん)している▼手塚は帝国劇場の創設に渋沢栄一らと参画したほか、都電の前身となる東京市街鉄道などの設立に携わった財界人としても知られる。利用者が減り、ダイヤが不便になって利用者が一段と減りゆく悪循環を抜け出す妙案が何かないものか聞いてみたい。(史)