1953年3月、吉田茂内閣の不信任案が可決され、衆院が解散された。「バカヤロー解散」として知られる
1953年3月、吉田茂内閣の不信任案が可決され、衆院が解散された。「バカヤロー解散」として知られる

 誰が考えるか知らないが、衆院解散には多くの俗称がある。小泉純一郎首相が郵政民営化の是非を争点にした2005年の「郵政解散」、民主党政権時代の野田佳彦首相が党首会談で予告した12年の「近いうち解散」…▼数ある中の代表格が1953年の「バカヤロー解散」ではないか。時の吉田茂首相が衆院予算委員会での質問に反応し、「バカヤロー」と発言したのが発端だ▼実は大声で叫んだわけではなく、答弁台から引き揚げる途中、ぼそっとつぶやいただけだったとされる。それを国会の速記者が記録。閉会後、野党議員が部屋に押しかけて速記録を確認し、内閣不信任、解散に至った。執拗(しつよう)な質問につい本音が出たのだろうが、発言は全て記録するのが速記者の鉄則。一度口にした言葉は取り消しができない▼そんな70年前の宰相が名前の由来の石破茂首相が、立憲民主党代表に就いた野田氏らとの党首討論を終え衆院を解散した。自民党総裁選で「本当のやりとり(ができるの)は予算委」と言及。野党との論戦を通じて国民に政権選択の審判材料を提供すると表明し、11月以降の解散・総選挙を選択肢にしていただけに、野党からは「手のひら返し解散」「ぼろが出ないうち解散」との皮肉が漏れる▼党内基盤の弱さから、早期解散を望む周囲の声に押し切られた格好。自分の思い通りにできず、本音は「バカヤロー」と叫びたいのではないか。(健)