「ともだちの まりちゃんは めがみえない。 それで かんがえたんだ。 みえないって どんなかんじかなあって。」
主人公の「ぼく」は目をつぶってみます。すると、普段は意識していないさまざまな音が聞こえて驚きます。次に、耳が聞こえない友だちのさのくんを思い出して耳栓をしてみると、いつもとは違う、いろんな発見をしたようです。
ぼくがなぜそんなことを考えてみたのかは、物語の後半に明かされます。
アイマスクや車いすを使って、視覚障害のある人の見えない状態や肢体不自由のある人の移動の困難さを疑似体験することは、小学校などでよく行われます。道徳の教科書にも障害に関するたくさんの教材があります。こうした学習活動で扱われるのは多くの場合、子どもが比較的イメージしやすい視覚障害、聴覚障害、肢体不自由です。
疑似体験は教える側に障害への科学的理解と豊かな障害観が求められます。障害のある人の体験そのものにはならないことにも留意が必要です。アイマスクをしたとしても普段は見えているので、場所や物の形を視覚的にイメージして行動できるからです。
安易に疑似体験をさせると、子どもたちは「障害のある人はできないことが多く、不便で、大変である」と捉え、その結果、「『私たち障害のない人』がやさしくしてあげなきゃ」と結論づけてしまいがちです。
障害のある人の生活は大変だと、気づくことは大事ですが、その一歩先まで考えさせたいものです。それは、障害のある人「が」楽しく生活できるようにどうしたらいいかで止まるのではなく、一歩進んで、障害のある人「も」楽しく生活できるようにするにはどうしたらいいかと考える意識を持つことです。

筆者の関わっている、ある目の不自由な子も一緒の保育をしている園で、この子も含めたみんながいす取りゲームを楽しむにはどうしたらいいか、年長児たちが真剣に考えていました。出した結論は「音楽が流れている間は、イスの背を触りながら歩いて移動する」というルール変更。まさにユニバーサルデザインの発想です。
さまざまな人がいるやさしい社会をどうつくっていくのか、子どもたちも自分たちなりに考えることはできます。この絵本を読んで、できないからこそできること、また、できないことがあっても、どのような配慮や支援があればできるようになるかまで、食事や移動など生活に身近な場面になぞらえて、話題にできるといいですね。