あの辛口のコメントが聞けないと思うと、残念でさみしい。大相撲第52代横綱北の富士で、解説者としても人気だった北の富士勝昭さんが82歳で亡くなった。
幕内優勝10回の戦績もさることながら、親方として千代の富士(故人)、北勝海(現八角理事長)の2横綱を育てた。野球界に「名選手名監督にあらず」という言葉があるが、北の富士さんは「名力士かつ名親方」だった。
もう一つ加えるなら「名解説者」か。「こんな内容で、今場所に何を期待しろと言うんだ」。現役の横綱に対しても歯に衣(きぬ)着せぬ辛口の論評で叱咤(しった)激励した。孫弟子に当たる島根県隠岐の島町出身の隠岐の海(現君ケ浜親方)には特に厳しかった。それも期待が大きかった証し。隠岐の海の引退時に「大関にという期待があった。もったいない」と話していた。
対照的に「自分には優しかったのでは」と振り返るのが大関琴桜。その祖父で倉吉市出身の第53代横綱琴桜(故人)は、北の富士さんとしのぎを削った間柄。同じ時代に戦った力士の孫として、特別な思いがあったのかもしれない。
そんな寵愛(ちょうあい)を受けた27歳の大関が九州場所千秋楽で豊昇龍との1敗同士の相星決戦を制して、念願の賜杯を抱いた。大関5場所目での初優勝は祖父と同じ。それでも北の富士さんの厳しく温かい激励が聞こえてきそうだ。「これで満足しちゃ駄目。おじいちゃんを上回る立派な横綱にならないと」(健)