安来節のどじょうすくい踊りに腹を抱えて笑い、得意のバイオリンで返礼したという。1922年11月に来日したアルバート・アインシュタイン(1879~1955年)。北九州市であった歓迎会の様子が当時の新聞記事に残る。
来日は出版社・改造社の招きによるもので、後日、雑誌「改造」に感想を寄稿した。日本の自然や人々を褒める中「一つだけ心にかかっている」と懸念したのが日本の西洋化だった。「生活にほどこされた芸術的造形、個人的な欲の抑制と質朴、日本人の心の純粋と静謐(せいひつ)」を「西洋に優る偉大な財産」と表し、守り続けることを「願わくば忘れないでほしい」と求めた。
そんな特別な思いを持つ日本に戦後もう一つ、「改造」を通じてメッセージを出した。原爆投下に対する弁明だ。39年に知人の科学者に頼まれ、原子爆弾の開発を米大統領に求める手紙に署名。核抑止論を狙っての行動で、実際の使用には反対していたが、原爆開発を導く「マンハッタン計画」の端緒ともなった。
52年に出されたその弁明は、どんな言葉を紡いでも意を尽くせなかっただろう。守ってほしいと願った日本の風景や人々の優しさが、残酷に失われた事実は消せないからだ。
20世紀に始まった原子力開発。「核」という禁断の果実を手にした以上、引き返すことはできないのか。原発も含めてその在り方を問い続けることが開発した人間の責任だ。(衣)