大阪府吹田市の万博記念公園。右は太陽の塔
大阪府吹田市の万博記念公園。右は太陽の塔

 1970年の大阪万博のシンボル「太陽の塔」。故岡本太郎さんが「原始と現代を直結させたようなベラボーな神像」と記した制作の源流に、57年に初訪問した出雲大社があったのではないかと臆測する。

 岡本さんは『日本再発見』の紀行文で、出雲大社を「過去の建築物でこれほど私をひきつけたものはなかった」「われわれの祖先はこういう美意識に生きたという凄(すさ)まじさにうたれた」と絶賛。本殿を囲む玉垣や瑞垣、楼門を外し「本殿が裸のまま一だんと孤独な相でそびえていたら、その美しさははるかに凄(すご)いに違いない」と評した。

 想像力をより膨らませたのは、神代の時代は32丈(約96メートル)あったと伝わる巨大神殿の姿と立地。「丸木で組んであったことを考えると凄みにぞっとする」「せっかく高くしながら山がすぐうしろにあったのでは効果は弱い。本来は、現在の場所に建っていたとは思わない」と推論。

 「かっては国をひっぱってくれるというような逞(たくま)しい気力、その象徴が自然をも圧してそそりたった。やがて大和の国家体制の中に一地方として編入され次第に神殿の規模も小さくなってゆく。この神社の姿はそのまま出雲族の運命を示しているのではないだろうか」とも。

 縄文土器に美を見いだし、民族学の視点から各地に息づく縄文の精神と日本の原風景を読み解いた芸術家には、かつての出雲王国の姿がはっきりと見えたに違いない。(衣)