大陸での経験を語る春日行雄さん=2005年12月、横浜市
大陸での経験を語る春日行雄さん=2005年12月、横浜市

 天皇、皇后両陛下が、モンゴルの首都ウランバートル郊外のダンバダルジャーの丘にある日本人抑留者の慰霊碑を訪問された。ダンバダルジャーと聞き、ある出雲人を思い出した。抑留された一人で、医師兼通訳として旧ソ連側と折衝した出雲市斐川町出身の春日行雄さん(1920~2011年)だ。

 旧制大社中学を卒業した1939年、現地に溶け込んで融和を図る諜報(ちょうほう)員を養成する「興亜義塾」の募集に応じ、内蒙古(現在の中国内モンゴル自治区)に渡った。ハルビンの旧満州国陸軍の軍医学校に学び、終戦後、ダンバダルジャーでの2年間の抑留生活を耐え、寒さや疫病、飢えのために息絶えた同胞をみとった。

 帰国後は抑留で亡くなった約1700人の日本人を慰霊する墓参を続け、モンゴル政府と交渉し、抑留時の病院に使われた寺院内に犠牲者名簿を収めた慰霊堂の設置を果たした。2005年夏だった。

 日本モンゴル協会の設立や1972年の日モ国交樹立に関与。ウランバートルでは貧困で住む場所がない子どもの暮らしを支援する「テムジンの友塾」を運営した。半世紀以上にわたる多方面での努力がモンゴル政府要人の心をつかんだ。

 自らを「最後の蒙古浪人」と称した春日さん。晩年に大陸での経験を語った際の、苦労を感じさせない呵々(かか)大笑の様子が印象に残っている。今年は戦後80年。平和と世界友好を願った志を受け継ぎたい。(万)