たまにはコロナ以外に雑学を一つ。日本で最初に原稿料を取った作家は、江戸後期の戯作者で浮世絵師でもあった山東京伝だとされる。人気を集めた京伝の場合、洒落(しゃれ)本(ぼん)の初回の料金が1両だったらしい。ちなみに洒落本とは、遊里での会話を中心に当時の美意識である「通(つう)」を面白おかしく描いた短編の小冊子▼京伝には逸話が多い。金銭感覚に秀でていたのか、飲み食いの勘定を頭割りにしたので「京伝勘定」と呼ばれ、「割り勘」の元祖といわれるのもその一つ▼そんな京伝の後援者の一人が大名茶人として知られる松江藩主・松平不昧(ふまい)(治郷(はるさと))の弟、雪川(せっせん)(衍親(のぶちか))だったという。1784(天明4)年に京伝が出した『たなぐひあはせ(手拭合)』は、いわば手拭いの紙上品評会。その巻頭を飾ったのは雪川の図案だった▼白地の中ほどに太めの縦線を2本引いた図柄で、「雪」に見立てた三筋の白地部分で漢字の「川」の字を描く、当時流行した謎解きの一種「判じ物」。掲載順の次は、不昧のお茶の高弟とされる姫路藩主・酒井忠以(ただざね)と、その弟で、後に江戸琳派の絵師となる酒井抱一(ほういつ)の図案。雪川と抱一は兄弟ぐるみの付き合いだったようだ▼「大名俳諧」の中核メンバーでもあった雪川の交友関係は、京伝や抱一など、不昧に劣らず幅広い。同じ「部屋住み」の身から歴史に残る文化人になった抱一のように、雪川の生涯にも光が当たるといい。(己)