智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される―。夏目漱石の『草枕』は、処世の愚痴で始まる。理屈っぽいと敬遠され、かといって情をかけてばかりでは、足をすくわれかねない。このくだりについて、先月12日に94歳で亡くなった社会人類学者の中根千枝さんなら「半分当たっているが、残り半分は外れ」と見立てたのではないか▼中根さんの代表的な著作『タテ社会の人間関係』(1967年刊)は、人間関係を中心とする日本社会の特徴をあぶり出している。日本人がうすうす感じながら言葉に表現できなかった社会の「癖」のようなものを筋道立てて見える化し、日本を理解する手引として国際的にも高く評価された▼その癖の代表格が、論理より感情を優先させる日本的な組織風土。企業などで実務能力は抜群でも、やたらに筋張れば「面倒くさいやつ」になり、仕事ぶりは目立たないが、人間的に周囲を引きつける「情の分かる人」が出世頭になる▼冒頭の一節に中根論を当てはめれば、前段の「智に働けば…」はその通りだが、後段は意味が逆転する。「情に棹させば流される」どころか社会の勝者になる▼女性として初めて東京大教授になった中根さんは「学者の世界も論より情。世の中には変わるものと変わらないものがある」と説く。組織同士のヨコの連携は苦手で、部課長など上下のタテ関係にこだわる日本社会の癖は変わりにくい。(前)