ロシアのウクライナ侵攻を受けて、自民党や日本維新の会などから日本も核抑止力の保有を検討すべきだという発言が相次いでいる。

 安倍晋三元首相らが、米国の核兵器を日本に配備して共同運用する「核共有」政策に言及。核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」とする非核三原則のうち、「持ち込ませず」の原則を見直す議論をすべきだとの声も出ている。

 しかし、唯一の戦争被爆国である日本に核兵器が配備されることは憲法の「平和主義」に反するだけでなく、安全保障政策上も地域の緊張感を高める恐れが強い。

 岸田文雄首相は核共有に関して「政府として議論することは考えていない」と明言し、非核三原則も堅持する考えを示した。原子力の平和利用を定めた原子力基本法に反するとも述べた。首相の姿勢を支持したい。

 岸田政権は外交・安保政策の長期指針となる「国家安全保障戦略」を年末までに改定する方針だ。自民党内などの議論を受け、首相の方針が揺らぐことがないか、注視したい。

 核共有検討の口火を切ったのは安倍氏だ。ソ連崩壊後にウクライナが核兵器を放棄していなければ状況が変わっていた可能性に言及し、「さまざまな選択肢を視野に入れて議論すべきだ」と述べた。これを受けて、自民党の高市早苗政調会長は有事の際の非核三原則見直しの議論をすべきだと提起、維新も核共有検討の議論を求めている。

 しかし、ウクライナ危機に乗じた発言には問題点が多い。まず、なぜ今のタイミングで発言するのかという問題だ。現下の最大の焦点は、ロシアのプーチン大統領が核攻撃に踏み切るかどうかであり、その暴挙を抑えるため国際社会は結束した対処が求められている。

 その中で日本が自国の安全保障を核兵器に頼る議論をすることは、国際社会からどう見られるのか。安倍氏は長期政権の首相を務め、世界の平和をリードしていくべき立場にあるはずだ。国際的な危機を利用するような発言は慎むべきだ。

 二つ目は、地域の緊張を高める恐れが強いことだ。日本の核共有に対しては、中国などが警戒を強め、さらに軍備を増強する「安全保障のジレンマ」に陥りかねない。

 三つ目は核共有が招く事態への覚悟と責任が政治家にあるのかという問題だ。確かに日本は抑止力を米国の「核の傘」に依存している。だが、核共有で国内に核兵器を配備した場合、状況は大きく変わる。もし抑止の均衡が崩れた場合、真っ先に攻撃の対象になるのは、日本国内の核関連施設になるだろう。

 維新代表の松井一郎大阪市長は、非核三原則に関して「昭和の価値観だ」と批判した。だが、日本が攻撃の対象となることへの政治家としての責任をどう考えているのか。日本を二度と戦争の惨禍にまみえさせないように努めることこそが政治家が守るべき「普遍的な価値観」ではないか。

 広島や長崎の被爆者から、「許せない」という憤りの声が上がるのは当然だ。

 安倍氏や維新が「タブーなき議論」を主張するのは、夏の参院選に向けて保守層の支持を意識した側面もあるとみられる。しかし、歴史と国際情勢を鑑みない短絡的な議論は国際的な信用を失うことを肝に銘じるべきだ。