東西冷戦時の1979年にオーストリアの首都ウィーンを訪れた。真冬だったこともあるが、当時のウィーンは北大西洋条約機構(NATO)には加盟していないものの西側陣営の最前線、東欧諸国にくさびを打ち込む位置にあり、ピリッとした緊張感に覆われていた。

 80年代前半、西ドイツの飛び地である西ベルリンにフランクフルトより空路入ったが、西ドイツのルフトハンザ機ではなく、米国機(パンナム)だったことに驚いた。国内線でありながら、西ベルリンに乗り入れできるのは第2次世界大戦の戦勝国である米英仏の機体のみと聞いた。西側陣営の孤島、西ベルリンでは、東欧共産圏やソ連からの圧迫をひしひしと感じたが、もはやソ連には、自らの連邦と東欧諸国を支えるだけの経済力に限りがあった。

 1985年に帰国して、司馬遼太郎さんの長編小説「菜の花の沖」を読んだが、カムチャツカで主人公の高田屋嘉兵衛が遭遇するロシアの人たちに、筆者が欧州の5年半で刷り込まれたソ連とはまったく違うものを感じた。このロシア国民と「ソ連の夢をもう一度」で凝り固まった独裁者との意識のギャップはいかばかりか。それにしても、...