ホタルの乱舞が終わり、紫陽花(あじさい)が花を咲かせる季節になった。雨にぬれて美しさを増す大輪の花は、梅雨の蒸し暑い日々の中の一服の清涼剤のよう▼<満開の紫陽花咲く頃吾(われ)はただ蛍となりて空へ逝(い)きたし>と詠んだミュージシャン白築純さんは3年前、ホタルと紫陽花の頃に49歳で旅立った。本紙などに掲載されたエッセーをまとめた『いつかまた、きっと会える!』には、嫁いできた雲南市掛合町での生活の様子がつづられている▼苦労が伝わってくるのが出雲弁の難しさ。「あだ~ん」からフランスを想像、疲労を表す「けんべき」をできものと勘違い。「菓子」を「くゎし」と発音する古典の授業のような出雲弁の世界を、地元住民との交流を通じて堪能する姿が目に浮かぶ▼ムカデの退治方法は笑った。子どもの頃のわが家では、母が見つけて叫ぶと、古新聞と火ばさみを持った祖母が登場。「何を騒ぐか」と言わんばかりに新聞でたたいて弱らせ、火ばさみでつかんでこんろの火であぶっていた。白築家も同じだった▼東京から来た白築さんの目は、当たり前だった言葉や文化に共感と新しい視点を示してくれた。重版が決まり、お待ちかねの読者の手元にも届く頃だろう。命日の7日に初めて開いた朗読会は、全作品を読み終えるまで続けるという。多くの人を魅了する白築さんの軟らかな文章は、本を開く度に私たちを笑顔にしてくれる。(目)