総合学習の一環で、松江市交通局の職員(左)から車椅子によるバス利用について説明を受ける母衣小学校の児童=2002年2月、松江市内
総合学習の一環で、松江市交通局の職員(左)から車椅子によるバス利用について説明を受ける母衣小学校の児童=2002年2月、松江市内

 学校週5日制が初めて実施されたのが、30年前のきのうのこと。やがて学習内容の3割カットや総合学習といった「ゆとり教育」が本格化。当時、義務教育を受けた「ゆとり世代」は「学力が低い」と色眼鏡で見られ、迷惑しただろう▼約20年前、開始間もない総合学習をよく取材したが、児童が川や水田で何かをする様子は遊びに見えた。自ら課題を考え解決する力を養うという理念や、一つのテーマを算数など各教科から多角的に捉えるという狙いを説明されても腑(ふ)に落ちなかった▼ただ自らの娯楽に置き換えると理解できた。囲碁の勝利に飢え「攻め合いが弱い。手筋の特訓だ」などと随時、課題を探り解決に努めた。勝負の極意を学ぼうと孫子や宮本武蔵の『五輪書』など大量の思想書を読み、上達につながりそうな習い事は何でもやった。諸学が連動し輪となる感覚があった▼明治期の知識人はスパルタ的に学んだ人が多いが、総合学習のような雰囲気もあった。共に島根県津和野町出身の啓蒙(けいもう)思想家・西周(あまね)と文豪・森?外は和、漢、洋の知識を修め、哲学でも医学でも「何でも来い」と言わんばかりだった。学域の壁が低く自由に思索した▼ゆとり世代は上は30代中盤になったが、あの教育の是非は判断が難しい。子どもや若者の数が多く厳しく選別された過去と、少子化で競争どころでない現代との間には、ふさわしかったのかもしれない。(板)