2014年7月、平壌の金日成広場でポーズをとる参院議員のアントニオ猪木さん
2014年7月、平壌の金日成広場でポーズをとる参院議員のアントニオ猪木さん
1976年6月、「異種格闘技戦」でプロボクシング世界ヘビー級王者ムハマド・アリ(左)と対戦するプロレスラーのアントニオ猪木さん=日本武道館
1976年6月、「異種格闘技戦」でプロボクシング世界ヘビー級王者ムハマド・アリ(左)と対戦するプロレスラーのアントニオ猪木さん=日本武道館
2014年7月、平壌の金日成広場でポーズをとる参院議員のアントニオ猪木さん
1976年6月、「異種格闘技戦」でプロボクシング世界ヘビー級王者ムハマド・アリ(左)と対戦するプロレスラーのアントニオ猪木さん=日本武道館

 「燃える闘魂」のキャッチフレーズとトレードマークの赤いマフラー。昭和、平成のプロレスブームの立役者になり、参院議員も務めたアントニオ猪木さんが昨日、亡くなった。79歳。プロレスにとどまらず幅広い活動で物事に挑む姿勢が多くの人に勇気を与え、共感を呼んだ▼移住先のブラジルで、遠征した力道山の目に留まり、17歳で日本プロレス入り。力道山の死後、故ジャイアント馬場さんとのコンビでプロレス人気を復活させ、1972年に新日本プロレスを設立した▼記憶に残っているのは億単位の借金をして実現したという76年のプロボクシング世界ヘビー級王者・故ムハマド・アリさん(米国)との異種格闘技戦。注目の大一番は、体をマットに沈めてローキックを狙う猪木さんの周りを、相手が動きながら攻撃の機会をうかがう展開に終始。期待とは裏腹の引き分けに終わり、世間から「世紀の大凡戦」と批判された▼それでもおなじみの「元気ですか!」の言葉と同様、挑戦につきものの失敗や挫折も前進のエネルギーに変えていく姿勢を貫いたせいか、「闘魂注入」と称し、猪木さんのビンタを受ける希望者が相次ぐ現象も生まれた▼2年前に心臓の病気を公表した後も、動画投稿サイトで闘病の様子を配信するなどその姿勢は変わらなかった。病魔との格闘には勝てなかったが、その生きざまは多くの人の記憶に刻まれただろう。(己)