「野の花のように素朴で、健康な美しい器、暮らしの道具として喜んで使っていただける物」-。出西窯(出雲市斐川町出西)の2代目多々納真代表(63)が受け継ぎ、絶えず目指す作品の形だ。工房は出雲平野を流れる斐伊川のそば。自然と田畑に囲まれたのどかな風景が、作風と重なる。
窯は戦後間もない1947年、先代の父弘光さん(故人)ら農家の次男、三男の幼なじみ5人によって開かれた。柳宗悦、河井寛次郎(安来市出身)らの民芸運動の影響を受け、実用の中にある美しさ「用の美」を追求してきた。
民衆の暮らしの中から生まれる、実用的な手工芸だから「民芸」。この地に根を下ろし、重ねてきた歴史を振り返り、多々納さんは「ここは原点」と力を込める。
工房周辺では2018年、「暮らし」をキーワードに「出西くらしのヴィレッジ」をオープンさせた。明治初期の米蔵を移築・増改築し茶わん、コーヒーカップ、皿など常時数千点を並べる展示販売所「無自性館」を核に、別棟にベーカリーカフェと衣料雑貨店が進出した。
「朝も夜も美しい。そういうところを感じてもらいたい」と願う新たな集客スポットは、洗練された雰囲気で女性や若者たちを引きつけ、広々とした駐車場は県外ナンバーの車が並ぶ。
▼現場は試行錯誤
普段使いの器のほか、嫁入り支度や誕生祝いの筒描(つつがき)藍染め、出雲大社の祝い事の際に使われた大社の祝凧(いわいだこ)などの民芸が、出雲の地で息づく。出雲民芸館(出雲市知井宮町)の山根信夫さんは、出雲の特徴として「風習が大事にされてきた。地産地消が成り立っていた。商品の数をたくさん作るわけではなく、細々とやれた手仕事が合っていた」と考察する。
その後、手仕事は全国的にものづくりの現場で主流となった機械化と、それに伴う大量生産という逆風にさらされることになった。漁師がかじかんだ手を温める釣鐘(つりがね)火鉢を作る出雲大津焼のように途絶えてしまったものもある。
「続けていくこと」が伝統工芸の最大の使命だとすれば、いかに時代の要請に応え、生き延びるか。現場は日々試行錯誤している。
▼共同製作が実現
出雲市の市街地を流れる高瀬川沿いにかつて数十軒あった藍染めの工房は現在1軒のみ。国内唯一とされる筒描(つつがき)藍染めを受け継ぐ長田染工場(大津町)の5代目長田匡央さん(40)は、物があふれる時代に新しい商品を生む難しさを感じている。
一方で、現状を踏まえ、「自分が持っている感性で、美しいものを作りたい」と思う。のりで模様を描く筒描藍染の魅力は手がける職人によって異なる線の味わい。その技術は都内のファッションブランドから注目され、洋服の共同製作が実現した。
島根県産ケヤキなどを使った茶たくやわんなどの「ひきもの細工」を手がける森山ロクロ工作所(同)の2代目森山登さん(68)も「機械化による大量生産の工房は、数を作ると赤字になった。手仕事は変化に対応できる」と前向きだ。
実際、同じ種類のものをたくさん作るのではなく、オーダーメードが増えていると実感。「ニーズに応じ、ここにしかないオンリーワンが求められる」と力を込める。
出西窯の多々納さんは「民芸は懐古的だと考えられているかもしれないが、それは違う」と言い切る。もともと、今の生活にどう即していくかを考え、変化してきたのが民芸。受け継ぎ、伝えていくものと、変えるべきもののバランスの上で、新しい「出雲ブランド」が形作られていく。
(松本直也)
=第4部おわり=