きょうは節分。<節分や親子の年の近うなる>。明治の俳人・正岡子規(1867~1902年)が生涯に節分の句をどれだけ詠んだかを調べるため、故郷・松山市の「子規記念博物館」のインターネットサイトで検索した。季語から手繰ろうと「節分」と入力したが結果はゼロ。厄払いの儀式を意味する「追儺(ついな)」と入れて、初めて結果が出てきた▼広辞苑によると、追儺は大みそか(旧暦の12月最終日)の宮中行事。7世紀末、文武天皇の世の日本へ伝わった。これが江戸時代、寺社や民間で節分に行われていた豆打ち行事と融合し、今のスタイルになったとされる。旧暦の大みそかと節分が時期が近かったことも合体の一因だろう▼ものは考えようで、現代の私たちは新暦、旧暦の大みそかと節分の日の3回、新たな年を迎える心持ちで過ごせる。健康づくりで元日に立てた誓いが既に揺らいでしまった人も、早めに立て直す良い機会だ。邪気も、自らの怠惰な心も追い払いたい▼子規は4歳の時、父親が40歳で他界した。新時代の空気を吸い込み、俳人、新聞記者、ベースボールの伝道者と多才を発揮しながらも結核に倒れ、34歳で死去。結果的に、父親の年齢を超えることができなかった▼検索結果は6句。ユーモアに富んだ句の中で唯一「直球勝負」に感じられる冒頭の句をどんな思いで詠んだのか、かなわないとは思いつつ、じかに確かめたい。(万)