桜(さくら)の季節です。でも、写真絵本『さくららら』(升井(ますい)純子(じゅんこ)・文、小寺(こでら)卓矢(たくや)・写真、アリス館)の主人公の桜は、まだ咲(さ)く気配もないかもしれません。

 北海道に実在(じつざい)するこの桜は、背(せ)が低く、開花も極端(きょくたん)に遅(おそ)い、ちょっと変わった桜なのです。ところが、25、26ページの開花の写真の迫力(はくりょく)は圧倒的(あっとうてき)。「これが わたし」の言葉が、読者の胸(むね)にさわやかに響(ひび)き渡(わた)るようです。

 これが自分だと言えるのは、なんと安心なことでしょう。『ある日、透(す)きとおる』(三枝(さえぐさ)理恵(りえ)・作、岩崎(いわさき)書店)の主人公にはそれができません。気づいた時には、空中に漂(ただよ)う透明(とうめい)な存在(そんざい)になっていたからです。

 自分が何者か知りたくて、主人公は町をさまよいます。聞き覚えのある音にひきつけられてのぞいた中学校で見たのは、一人でマリンバを練習する沙夜(さや)という女の子。不器用で人見知りの沙夜は、仲良しだった夕那(ゆうな)に冷たくされるようになり、悩(なや)んでいる様子です。

 主人公は、沙夜と夕那の関係や、周(しゅう)囲(い)の人たちの心の内側を知っていきます。それらが少しずつ組み合わさった時、主人公はひとつの答えにたどり着きます。そして、今まで知らずにいた自分―何人もの人から、温かな気持ちを寄(よ)せられていた自分―に気付いていくのです。

 人から認(みと)められる時、私(わたし)たちは「自分はこれでよし!」と思うことができます。『さすらいの孤児(こじ)ラスムス』(アストリッド・リンドグレーン作、尾崎義(おざきよし)・訳(やく)、岩波(いわなみ)書店)に登場する「孤児の家」の子どもたちは、「この子がほしい」と言われることを心待ちにしています。

 ラスムスもそのひとり。でも、養子(ようし)として引き取られていくのは、巻(ま)き毛(げ)の行儀(ぎょうぎ)のよい女の子ばかり。針毛(はりげ)で腕白(わんぱく)な男の子のラスムスは、望(のぞ)み薄(うす)です。しかも、不運な失敗が重なり、寮母(りょうぼ)先生に呼(よ)び出されるはめに。

 そこでラスムスは、自分を養子にしてくれる裕福(ゆうふく)で優(やさ)しい養父母を探(さが)すため、「孤児の家」を抜(ぬ)け出します。そして、陽気な風来坊(ふうらいぼう)・オスカルに出会い、オスカルについて門付(かどつけ)(=人家の門口で芸を披露(ひろう)して金品をもらうこと)をしながら旅していきます。

 ところが、強盗(ごうとう)の現場(げんば)を目撃(もくげき)してしまったことから、2人は事(じ)件(けん)にまきこまれ、オスカルはぬれぎぬを着せられて逮捕(たいほ)されてしまったのです。ラスムスは、この絶体絶命(ぜったいぜつめい)のピンチを、「孤児の家」で習い覚えた(行儀のよい子には絶対できない)技(わざ)を駆使(くし)して切り抜けていきます。

 さて、ラスムスを迎(むか)え入れるのは、どんな人でしょうか。

 さあ、新学期。「新しい自分」を見つける旅のスタートですね。

 (小林順子(こばやしじゅんこ)・安来(やすぎ)市立第一中学校司書)