脚本家の倉本聰さんは移住先を探し訪れた北海道富良野で、森の太い木々に無数の爪跡があるのを見つけた。恐る恐る尋ねると、案内してくれた役場の人は事もなげに言ったそうだ。「ここらのクマは気立てがいいから」。気に入ってドラマのせりふにも使った▼気質はどうにせよ、目の前に突然現れるとさすがに怖いはず。浜田市内でクマの目撃が相次いでいる。山間部ならまだしも、人家が集まる市街地に。どうやら若いクマが迷い込んだらしい▼ツキノワグマはちょうど親離れの時季を迎えている。母グマは冬眠中に出産し、子育てを一手に担う。もうひと冬を越すまで行動を共にし、生きるすべをたたき込む。伝統的な狩人マタギには「苺(イチゴ)落とし」と呼ぶ、クマの子別れの伝承があるという▼初夏になると、母グマは子グマが好物の木イチゴが実る場所に連れて行き、夢中になって食べている間にそっと姿を消す。気持ちの一切を振り捨てるのだろうか。何とも切ない。この春、進学や就職で実家から巣立ったわが子の見送りを思い浮かべ、無事に暮らしているだろうかと案じた方もおられよう。子は子で離れた寂しさが込み上げる頃かもしれない▼そう考えると、クマを見つけてむやみに騒ぎ立てるようなことはするまい。心細くおびえているのはクマの方だろう。無事に山へと戻り、気立てのいいクマに成長してくれと願う。警戒はしつつ。(史)