司馬遼太郎さんの『生きている出雲王朝』と富當雄さんの寄稿文が載った島根タイムス「出雲大社正遷宮記念」の1ページ
司馬遼太郎さんの『生きている出雲王朝』と富當雄さんの寄稿文が載った島根タイムス「出雲大社正遷宮記念」の1ページ

 今月、司馬遼太郎さん(1923~96年)の生誕100年を迎えた。ファンではないが、1961年の『生きている出雲王朝』は、地元のこととあって引かれる▼数日の滞在を基にした紀行文。司馬さんを出雲に引き込んだのが「出雲のことに話がおよぶとやや正常性をうしなう」という語り部のW氏だ。産経新聞社時代の上司で、出雲大社の社家の出とあるから島根県指定文化財「富家文書」でも知られる富家の故富當雄(まさお)さんのことだろう▼出雲神話に登場する神の子孫を自称するW氏の語りと司馬さんの取材に基づいた想像力が融合。出雲に潜在する「国譲り」で奪われた王朝への思いや簒奪(さんだつ)の経緯が「出雲人と石見人の対立感情の源流」と分析するなど、仮構として楽しみながらもルーツを知れたような気になる読後だ▼そのW氏であろう富さんが出雲大社と大社町について寄稿した、53年発刊の島根タイムス社の雑誌『出雲大社正遷宮記念』を実家で見つけた。「出雲歴史が四千有余年の間、興亡の経路と変遷しつつも、神々の地ゆえに伝統を絶ゆることもなく現在まで生命を保ち得た神秘性を無条件に信じている」など、郷里への誇りに満ちた文章は、心に響くものがある▼司馬さんが「ふしぎな国である、まったく」と感じた出雲は信心がつくりだした地なのだと思う。人も土地も変わるのは時代の必然だが、出雲王朝は今も生きているだろうか。(衣)