駒沢大の2連覇で幕を閉じた第35回出雲全日本大学選抜駅伝競走(出雲駅伝)。ゴールの出雲ドーム前では歓喜の胴上げが繰り返された▼訃報が届いたのはレース途中だった。古里の出雲市長や衆院議員などを務めた岩國哲人氏が移住先の米国で亡くなった。87歳。米投資銀行の日本法人社長などを歴任し、1989年4月に合併前の旧出雲市長に就任。出雲の知名度向上へ「全国放映できるスポーツイベントを」と大学駅伝を誘致した▼コース設定や警察との折衝など、準備に通常は2~3年かかる大会を半年で実現。今では箱根、全日本と並ぶ「三大大会」と呼ばれるまでに育った。92年には木造の出雲ドームも建設。出雲駅伝は岩國市長の存在なくして誕生しなかった▼2期目途中の95年3月、東京都知事選へ出馬するため辞任。その後は古里とのつながりも薄れたが、9年前、自らの出雲での体験記が日本新聞協会の新聞配達エッセーコンテストで最優秀賞に輝いた▼小学5年から毎朝40軒に配達。読み終わった新聞を見せてくれるおじいさんがいた。その死後も、残されたおばあさんが読ませてくれた。中学3年時に彼女も亡くなり、葬儀に出て、彼女は字が読めなかったと聞く。「てっちゃん」が毎日来るのがうれしくて、とり続けていたと知り「涙が止まらなくなった」。この随想は絵本になった。元市長は出雲人の優しさも後世に遺(のこ)してくれた。(健)