ガザの難民女性が手がけた刺しゅう(パレスチナ・アマル提供=共同)
ガザの難民女性が手がけた刺しゅう(パレスチナ・アマル提供=共同)

 太平洋戦争が終わって78年がたった現代の日本社会では、幸いにも「戦争と日常」を切り離して考えることができる。それが良いか、そうではないかは別として▼もちろん、石油などの資源を海外に頼る私たちの暮らしは、世界中の紛争と無縁ではない。また、張り巡らされた情報網によって惨状を映像や記事で見ることもでき、個人のつぶやきにさえ触れることができる。それでも本当の心の奥底では、古里が戦場にでもならない限り、「人ごと」と思ってしまう自分を否定できない▼そんな弱き者とは違い、当事者の思いに寄り添い、発信することで世の中を変えようとする人たちがいる。1980年代後半からパレスチナに通い詰め、イスラエルとの争いによる戦下の暮らしを撮り続けた出雲市生まれのジャーナリスト古居みずえさん(75)もその一人▼2001年の米中枢同時テロを境に、激しさを増すイスラムと西欧の衝突に翻弄(ほんろう)される現地の情報を、本紙でもこの20年来、節目で紹介してもらった。どちらか一方を悪とする見方をいさめ、常に生活者から戦地を見詰めようとした視点は、ガザ危機が深刻化する今こそ持つべきだ▼古居さんが現地の住民を撮影したドキュメンタリー映画の上映を求める声が交流サイト(SNS)上でアップされている。現地には行けなくとも、危機を共有し、できることはないか。考察とその人なりの実践はできる。(万)