「わたし いややねん」の表紙(吉村敬子・文、松下香住・絵、偕成社)
「わたし いややねん」の表紙(吉村敬子・文、松下香住・絵、偕成社)

 「わたし でかけるのん いややねん」
「みんな じろじろ見るから いややねん」

 脳性まひがある吉村敬子さんのシンプルでストレートなメッセージと、吉村さんの車いすを押す、友人の松下香住さんが描いた車いすの絵だけで構成された作品です。車いすは、作者の言葉とともに見せる表情が変化していきます。

 正直なところ、中高生ぐらいでないと作品を理解するのは難しいと思います。少し解説しましょう。

 皆さんは「障害者」とはどのような人を指すか、正しく理解していますか。

 「障害者」とは身体、知的、精神障害(発達障害を含む)その他の心身の機能の障害があり、障害や社会的障壁によって日常生活や社会生活に制限を受けている人であると、障害者基本法2条に定義されています。心身の障害だけではなく、社会的障壁による生きづらさも指して、障害者としていることが重要です。

 2011年の改正でこう定められるまで、障害のある人が日常生活で制限を受けるのは「その人に障害があるから」で、訓練やリハビリで乗り越えるもの、と考えられてきました。「個人モデル」「医学モデル」といいます。そのため、改正前の障害者の定義は、障害があるために日常生活や社会生活に制限を受ける人とされていました。

 この絵本の出版は1980年。作中の言葉にはそんな障害観が表れています。

 「先生が いわはった 『強い心を もちなさい 強くなりなさい』って」
「そやけど なんで わたしが 強ならなあかんねんやろーーか」

 しかし現在は、人の多様性に社会が対応できていないため障壁が生まれ、それが障害となるので、社会が障壁を取り除かねばならないと考える「社会モデル」を取っています。例えば、肢体不自由者に移動の制限があるのは足が不自由だからではなく、スロープやエレベーターがないから、と考えます。

 もう障壁はなくなったでしょうか? 段差など物理的障壁に対してはエレベーターやスロープの設置で改善が進んでいるようです。では、心ない言葉を向けたり、障害者をかばうべき存在だと考えたりする心理的障壁はどうでしょう?

 いまだに、「車いすは狭いエレベーターで場所を取って邪魔」といった障害に対する差別や誤解が大きな「障害」となっています。障害のある人が人権を等しく尊重されるためには、社会的障壁を取り除くことが必要で、責任は社会にあります。社会を構成する私たちの誰もが、そのことを理解し、具体的な行動へつなげることが求められます。

 

 みずうち・とよかず  岡山市出身。3児の父。島根県立大人間文化学部臨床発達心理学研究室准教授、公認心理師。発達障害の子どもや家族の相談支援、乳幼児健診の心理相談員、ダウン症、自閉スペクトラム症などの当事者と家族団体の支援などに長く従事する。現在松江市を中心とした障害や病気のある若者当事者グループ「オロチぼたんの会」の活動を監修。著書に「身近なコトから理解する インクルーシブ社会の障害学入門ー出雲神話からSDGsまでー」。