上司との雑談で、小学校の国語の教科書に載っていた話を持ち出すことがある。その度に、「よく覚えているね」と驚かれる。「なんで覚えてないんですか」とこちらも驚く。
きつねの親子が人間の町へ出かける『手袋を買いに』、蟹(かに)の会話が独特な『やまなし』。戦争がテーマの『一つの花』…。登場人物の気持ちを掘り下げる授業を、思いの外好んでいたのだろう。中でもこの時季に思い出すのが『わらぐつの中の神様』だ。
おみつという若い娘が、一目ぼれした雪下駄(げた)を買うため見よう見まねで、でも心を込めてわらぐつを編み、朝市へ並べた。なかなか売れなかったが、若い大工が毎日買ってくれるようになる。その理由は…というあらすじ。
印象に残っていたのは「使う人の身になって、心をこめて作ったものには、神様が入っているのとおんなじだ」という、おみつにかけた大工の言葉。わらぐつを見たことも履いたこともなかったが腹に落ちたのは、手仕事の尊さが子ども心に分かったからだろう。その言葉に続けて大工は結婚を申し込む。「それを作った人も、神様とおんなじだ。おまんが来てくれたら、神様みたいに大事にするつもりだよ」。こんな言葉をかけられたら即、恋に落ちそうだ。
効率偏重の時代に「心を込める」ことは減っているかもしれない。せめて大みそかのきょう、心を込めて今年一年に感謝を伝え、来る年を迎えたい。(衣)