米子市出身の経済学者、宇沢弘文氏(1928~2014年)が米国でのキャリアを捨て、1968年に帰国した一因が水俣病だった。
そんな公害への問題意識から導いた概念が「社会的共通資本」。大気や森林、土壌といった自然環境も安心な生活を支える社会的装置で、資本主義の対象としてはならないと提唱。水俣病は、漁師たちが大切な財産として守ってきた海に有機水銀を含む排水を流した原因企業のチッソが、自分勝手に使える自由材としたことに起因すると批判した。
政治学者の中島岳志さん(50)は宇沢氏を尊敬しつつ、欠けている視点もあると指摘する。それは社会的共通資本の主体があくまで人間にあり、自然や環境を対象物とした点。そこに今なお気候変動という形で現れる課題が潜んでいるのでは、と先日あった水俣病記念講演会で投げかけた。
自然と共に生きた近代以前の人が「人間だけが主体だ」と考えなかったことは、水俣の生き物の苦しみと尊さを描いた故石牟礼道子さんの著書『苦海浄土』からも分かる。
ただ人は見て見ぬふりをしがちだ。当初は水銀説を否定し、水俣病は腐った魚介が原因だとするアミン説を唱えた学者は晩年「チッソへの疑念を晴らさねばとの気持ちが強かったのは、日本の産業はかわいく、心から役立ちたい対象だったから」と話したという。自然と共に生きる-。もう取り戻せない視点だろうか。(衣)