真珠湾攻撃で撃沈される戦艦アリゾナ=1941年12月7日、米ハワイ(AP=共同)
真珠湾攻撃で撃沈される戦艦アリゾナ=1941年12月7日、米ハワイ(AP=共同)

 今年は戦後80年の節目。夏が近づけばさまざまなメディアであの戦争を見つめる特集が展開されるだろう。

 以前、戦争体験者を取材した。物資補給のない南の島で極限の飢えをしのいだ元兵士、燃料確保のため国内で松やに採取に携わった人…。振り返ると戦況悪化後の様子が軸で、肝心な話を聞いていなかった。1941年の開戦時の心境である。

 真珠湾攻撃の成功で祝賀ムードに包まれたというが、結末を知る身には楽観が過ぎるとも、やけくそとも思える。当時の良識的な大人はほとんど亡くなり、本音をじかに聞くのは難しい。

 自分が当時いたら、楽観したかもしれない。開戦時に抱く戦争の印象は日中戦争や第1次世界大戦のもので、本土が攻撃されると思っていないから。飛行機で戦艦を撃沈できることも、戦場や都市に爆弾を雨あられのごとく落とす絨毯(じゅうたん)爆撃という残忍な戦術があることも知らない。質から量への戦争の変化に無知なのだ。

 気付く機会はあったはず。開戦2年前、モンゴルと旧満州(中国東北部)の国境付近で日ソ両軍が武力衝突したノモンハン事件。日本軍は火力と装備で圧倒され8千人の死者を出した。米軍の機関銃や大砲に竹やりで挑む無謀な行為は、この事件に原型が見られるのに意識共有されず教訓にならなかった。先の大戦で日本人の犠牲者は民間人も含め310万人。隠蔽(いんぺい)と独善の罪深さは、言わずもがなである。(板)