大学時代、夏休みに東京から山陰へ帰省した際の話。両親の結婚記念日を祝い、「ごちそうするから」と家族で夕食に出かけた。思えば身銭を切った初めての親孝行だった。
なじみの飲食店に入るとただならぬ雰囲気。「羽田を出発した航空機が消息を絶った」というニュース速報を客が凝視していた。1985年8月12日午後6時56分、大阪行きの日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落し、520人が犠牲になった大惨事。あれから40年を迎える。
事態の重さを象徴するかのように墜落事故を扱った2冊の小説が出版、映画化された。山崎豊子さんの『沈まぬ太陽』と横山秀夫さんの『クライマーズ・ハイ』。
前者は航空会社で遺族対応に従事した労働組合幹部、後者は墜落現場の地元紙記者が主人公。ともに墜落する機内で乗客が家族に宛てて書いた遺書が登場する。どんな思いだったのか。想像するだけで胸が詰まる。
40年を前に、遺族らでつくる「8・12連絡会」が自身の手記をまとめた文集『茜雲(あかねぐも)そのあとに』を自費出版した。夫=当時(40)=を亡くした大阪府箕面市の谷口真知子さん(77)は、自ら手がけた絵本『パパの柿の木』の読み聞かせや、講演活動に取り組んでいると報告。自宅庭の柿の木も年を取ったが毎年実をつけるとし「今年も頑張れよとパパが励ましてくれるように感じる」と記した。40年を経て、家族の絆は生き続けている。(健)