童謡『線路は続くよどこまでも』が日本で歌われるようになってから今年で60年になる。軽快なリズムで楽しい汽車の旅を歌うこの曲は、1962(昭和37)年にNHKの歌番組「みんなのうた」で紹介されて以降、多くの子どもたちに親しまれてきた▼ところが、原曲の米国民謡の歌詞を知ると、全く印象が変わる。多くの命が失われた19世紀の大陸横断鉄道の敷設工事に携わった労働者たちの過酷な環境が描かれ、悲壮感が漂う▼山陰で初めて汽車が走ったのはちょうど120年前。まだ機械化が進んでおらず、工事は並大抵の苦労ではなかっただろう。海路で境港に資材を運んでレールを敷き、02(明治35)年11月1日に、米子を経由して御来屋までの36・8キロ区間が開通した▼その後も安来市で日本初の鉄筋コンクリート製の鉄道橋が架けられるなどして、鉄路は東西に延伸。起点を京都駅、終点を幡生(はたぶ)駅とする「山陰本線」は京都、兵庫、鳥取、島根、山口の5府県をまたぎ、在来線では日本一の長さ(673・8キロ)を誇る▼子どもたちには今後も陽気に童謡を歌い続けてほしいが、ローカル線は沿線人口の減少やコロナ禍によるJRの経営悪化で、いつまでも、どこまでも線路が続くとは簡単に言い切れなくなったのが現実だ。先人が築いた鉄路をどう生かすのか。山陰鉄道の未来を考える上で、120年の歩みを振り返り、光明を見いだしたい。(文)