きのうは78回目となる沖縄戦の慰霊の日だった。1945年6月23日、沖縄本島を巻き込んだ日米の戦闘で沖縄の一般住民9万4千人、日本軍の軍人・軍属9万4千人、米兵1万2500人が犠牲となった▼この日が記念日になったのは、現地で戦った沖縄守備軍第32軍の司令官・牛島満大将と参謀長・長勇中将が自決し、組織的な戦闘が終わったことによる▼しかし、その下のナンバー3だった高級参謀・八(や)原(はら)博通(ひろみち)大佐にとって新たなる「戦い」の始まりだった。参謀室を構えた摩文仁(まぶに)の洞窟(沖縄県糸満市)から脱出。本土決戦を期して、避難民に紛れて米軍の保護で島外へ向かおうとしたが身分が露見し、計画はついえた▼終戦後、米国の輸送船で本土に帰った八原は、しばらく郷里の米子で静かに暮らし、多くを語ることはなかった。だが、希有(けう)の存在は新聞などで注目され、沖縄が本土復帰した72年、手記『沖縄決戦 高級参謀の手記』を発表した▼日本軍の内幕を「夢を追う航空至上主義とはだか突撃で勝利を得んとする地上戦思想とに対する抗争」と表現。航空機による特攻や総攻撃を命じる中央に対し、洞窟にこもる持久戦を主張したが採用されなかったという。その経緯を含めて、現場の視点で戦いを回顧した。悲劇を繰り返さないために、沖縄の声に寄り添うとともに理想と現実のはざまで苦悩した郷里の先達の思いにも耳を傾けたい。(万)













