昭和の最終盤、「お前はもう死んでいる」のせりふとともに漫画『北斗の拳』が少年の心をわしづかみにした。連載開始は40年前。作中、すさまじく連打する「北斗百裂拳」が出てくる。百が良い加減で、千裂、万裂だと実感しにくい。多量という意味を持ちつつ、人がつかみやすい数字だ。百足(むかで)は見た目通りだし、百面相に百獣、百科事典。そして百貨店▼松江市の一畑百貨店が来年1月に閉店する。本物に巡り合える場として百貨店は博物館や美術館と似た役割を持ち、非日常空間の喪失という思いが強い▼1904年の三越の新装開店が日本の百貨店の始まりとされる。それ以前に逸品と対面できる機会は茶席があったが、上流階級に限定され庶民には縁遠かった。いいものを見たい。だから各種高級品が勢ぞろいする百貨店が歓迎されたのは想像に難くない。華麗な店内や洗練された接客もまた、行きたいと感じさせたはずだ▼夢の舞台装置という初志を忘れなければ、一畑百貨店ももっと続けられたと思うのは酷だろうか。個人的には中年太りで入るズボンが減り、店で先日新調したのが久々の訪問だった。懐は寒く目の保養目的でも行っていなかった▼近代の都市化や流通網の発達で実現した業務形態だ。時代が流れ、郊外の大型スーパーなど競合相手が出現した理屈も同じ。さらにネット通販。「百」にさほど意味がなくなったのだろうか。(板)