戦後に公布された「日本国憲法」と治療薬。この二つが、強制隔離などのいわれなき差別と闘ってきたハンセン病患者を救うはずだった▼70年前の1953年8月13日、全患協(現在の全国ハンセン病療養所入所者協議会)は差別を正当化してきた問題の法律「癩(らい)予防法」の改正にめどが立ったため、闘争を終えた。だが、その日は新たな闘いの始まりに過ぎなかった▼2日後に公布・施行された「らい予防法」は、施設への強制収容や、入所者の外出を禁止するなどの条文を残し、引き続き患者を苦しめた▼<故郷離れた菊池野に この世の地獄があろうとは 夢にも知らない娑婆(しゃば)の人 知らなきゃ俺らが教えよか>。益田市内で先日講演した熊本県の国立ハンセン病療養施設「菊池恵楓園」自治会副会長の太田明さん(79)は、入所者が作ったブルース調の詩を紹介。遺骨となっても故郷に帰れない、療養所なのに病気の治療がまともに受けられないなど、数えるにいとまがない悲哀を語った▼同法は廃止され、基本的人権を侵害したとの司法判断も出た。しかし、太田さんは「間違った政策が繰り返されないために、カルテや行政文書を検証する仕事がわれわれに残された最後の仕事」と闘い続ける。そうした負の歴史を物語る国立ハンセン病資料館(東京都東村山市)の企画展「らい予防法闘争」七〇年-強制隔離を選択した国と社会-がきょう開幕する。(万)