「冷蔵」という言葉の生みの親を一般に知る人はあまりいないだろう。鳥取県橋津村(現湯梨浜町)出身の中原孝太(1870~1943年)。米国で冷蔵技術を学び、国内初の「機械的冷蔵事業」、すなわち冷蔵庫の製造を始めた場所が米子市だった。食品を冷やすのに大山の天然氷を使っていた時代だ。
「米子は冷蔵業の先進地」-。県外の研究者から以前そう言われて自身も初めて知った、と公益社団法人「氷温(ひょうおん)協会」(米子市大篠津町)の山根昭彦理事長が教えてくれた。
「氷点下の未凍結温度」を意味する氷温。同じ米子の地で、鳥取特産・二十世紀梨の低温貯蔵の研究中、偶然見つかり、今や食品の貯蔵、熟成で高付加価値化につながる技術として注目される。何という巡り合わせか。
協会は1985年の設立以来、累計886品目を「氷温食品」として認定。裾野を広げる技術は今年、食肉の賞味期限を延ばすとして、国立研究開発法人「農研機構」からも認められた。
先日、米子市内で開かれた総会で全国から集まった約90人が喜びを共有した。氷温を取り入れ、半世紀を重ねる水産加工ダイマツ(同市旗ケ崎)の松江伸武会長が、続く交流会で万感を込めて、「地方から、地場から、日本の食品産業を活性化したい」という協会設立者の故山根昭美氏の思いを紹介。会場を包んだ熱気は、まさにそれが実現に向かっている手応えのように思えた。(吉)