はっきりした原因は分かっていないという。国内で梅毒患者が急増。東京都内では過去最多だった昨年の感染者数に迫る。母子感染のリスクもあり、早期の受診が何より大事だ▼室町時代末期に流入した梅毒はすぐに蔓延(まんえん)。江戸時代では日常的な病となり、感染した大名も多い。桜田門外の変で、大老井伊直弼の暗殺を指揮した水戸藩の浪士関鉄之介も事変後、幕府の追及を逃れて転々とする中で重症の梅毒に侵されたという説が、研究家などによって指摘されていた▼ただ、これは?誤診?。徹底した現地調査と資料収集で知られる作家の故吉村昭さんは、関が主人公の歴史小説『桜田門外ノ変』の取材で、実は梅毒ではなく糖尿病だったことを突き止めた▼手掛かりは子孫が保管していた関の日記。湿(しっ)瘡(そう)(吹き出物)に悩まされた関は「すべての辛い食物、油気のあるもの、海魚、ゴボウ、トウナス(カボチャ)は食べてはならぬ、貝類、川魚、野菜は食べてよい」などと蘭方医の処方を記述しており、それを薬学史の専門家に照会すると「蜜尿病(糖尿病)の療法」との見解を得たという▼吉村さんは晩年の随筆に、史料や資料をあさり、その堆積で作り上げていく執筆作業は大変だが快感を伴い「史実という氷塊を砕いて進む砕氷船のよう」だと記していた。関の病名は史上では些細(ささい)なことだろうが、どんな事実も誤って伝聞される辛(つら)さはないと、自戒する。(衣)