「私、“みなしおじさん”にされているんです」。先日、40代の知人女性が嘆いていた。みなしおじさんとは「結婚も妊娠もしなさそうだし、おじさんと同じ扱いでいいだろうと会社に見なされ、女性としての配慮が受けられず、仕事をどんどんやらされる立場になること」だという
もちろん妊婦や子育て中の人への配慮は特に必要だが、おじさんをはじめどんな人にもプライベートや事情はある。「常に150%の力を出し続けるのではなく多様な人を使って、全員が80%で良いという働き方に変えていくべきだ」と説く学者もいるが、そう簡単に実現しないだろう
独り身であれば将来を思い、家庭では雑事に追われ、職場では責任が重くなり、人生に迷いがちな40代。「四十にして惑わず(不惑)」という孔子の言葉はむしろ、惑いの中にあるというのが実感だ。一方で中国古代文字の研究者でもある能楽師の安田登さんは違った解釈をする
孔子が生きた2500年前に「惑」という字はなく「不或(ふわく)」ではなかったかと。「或」は、城郭を守るというのが原義で、閉じこもった状態を指す。要するに孔子は「四十になれば自分のおりを破って、思い込みやとらわれている固定観念を捨てよ」と説いたというのだ
確かに不或の方が腹に落ちる。惑いはするものの体力気力は残る年代。「私の人生はこんなもの」という枠を取っ払い、挑む時機でもある。(衣)