「長谷川くんきらいや。せっかくぼくら仲ようしたりようのに。」
主人公の「ぼく」は、友だちの長谷川くんと一緒に過ごす中で、何度もそう口にします。長谷川くんは、みんなで行った山登りでは途中でへたってしまい「ぼく」におんぶしてもらいました。野球では三振ばかりで、走るのも遅く、すぐに涙をこぼします。

けれど、「ぼく」は何度「きらいや」と言っても、長谷川くんを放っておけません。一緒に遊び、生活を共にする中で彼の存在が気になって仕方ないのです。
「なあ おばちゃん なんで 長谷川くん あんなに めちゃくちゃ なんや。」
「ぼく」は長谷川くんのお母さんに尋ねます。
「あのね、あの子は、赤ちゃんの時、ヒ素という毒のはいったミルク飲んだの。それから、体、こわしてしもたのよ。」
お母さんはそう答えます。でもやっぱり、「ぼく」は思ってしまうのです。
「長谷川くんなんか きらいや。大だいだいだい だあいきらい。」
「ぼくは、ちいさいころ よわみそやった。」(著者あとがきより)。

この絵本は、1955年の「森永ヒ素ミルク中毒事件」を背景に描かれたものです。森永乳業が製造した粉ミルクにヒ素が混入し、西日本一帯の乳幼児に中毒症状が広がった事件。少なくとも130人が命を落とし、1万3千人以上が知的障害や身体障害のある被害者として認定され、支援が必要な状態にあります。
著者の長谷川さんも事件の被害者。幼少期の経験から「友だち」の立場の「ぼく」を語り手に物語を書きました。1976年に出版し、絶版を経て2003年に再出版。今でも友情や思いやりを考えさせる道徳や人権の教材として、学校教育で用いられています。
少し視点を変えます。森永ヒ素ミルク中毒事件や四日市ぜんそく、水俣(みなまた)病による障害や病気は社会の仕組みや企業の責任の欠如で引き起こされた「本来、あってはならないもの」です。
さらに視野を広げれば、戦争被害による障害者が今なお存在しています。ベトナム戦争の化学兵器の被害者「ベトちゃん・ドクちゃん」を覚えている人もいるでしょう。現在進行形のロシアとウクライナの戦争でも、多くの人が傷病者として苦しみ続けています。
公害や戦争は人の手で生み出されたものですから、その多くは、人間によって終わらせることができるはずです。この絵本が、「友だちとは何か」という問いを超えて、病気や障害の背景にある社会問題や平和の大切さを考えるきっかけになればと思います。