子どもが多く競争が激しい団塊ジュニア世代の一人として、受験や就職には苦労した。だから1966(昭和41)年生まれの先輩がうらやましかった。この年は60年に1度の「丙午(ひのえうま)」で、日本の出生数は136万974人。前年より46万3千人、翌年より57万5千人も少ない。
丙午は十干十二支の一つ。丙午生まれの女性は気性が激しく、嫁ぎ先に災いをもたらすとの迷信があり、これを気にして妊娠出産を避けた夫婦が多かったという。人類が宇宙に行く時代に迷信で出生減とはにわかに信じられず、深刻な人権問題を内包していたことは後で知った。
出生減の要因は吉川徹著『ひのえうま 江戸から令和の迷信と日本社会』に詳しい。医療や公衆衛生の発達によって長寿化が進み、60年前の明治の丙午女性の多くが自らの苦労を語れた。避妊の知識や方法も普及し、産まない選択も可能になった。科学の発展が出生減に関与したことは皮肉だ。
迷信から生じる偏見には、印刷・出版の発展が絡んでいる。江戸時代に結婚できない丙午女性をからかう川柳が印刷物で残って迷信ごと伝わり、明治の丙午女性が未婚を苦に自殺すれば悪意はなくとも新聞で報じられた。そんなつらい思いを娘にさせたくないという親心が働いたのが66年。情報を扱う難しさは今に通じる。
少子化が進み、昨年の出生数は過去最少の72万988人。さて来年迎える丙午はどうなるか。(板)