八雲塗を考案した坂田平一=八雲塗やま本提供
八雲塗を考案した坂田平一=八雲塗やま本提供
桐と鳳凰の文様を表現した、坂田平一作「八雲塗桐鳳凰文会席膳」=松江歴史館所蔵
桐と鳳凰の文様を表現した、坂田平一作「八雲塗桐鳳凰文会席膳」=松江歴史館所蔵
展示してある、明治、大正時代の八雲塗作品の一部=松江市末次本町、八雲塗やま本
展示してある、明治、大正時代の八雲塗作品の一部=松江市末次本町、八雲塗やま本
坂田 平一の歩み
坂田 平一の歩み
八雲塗を考案した坂田平一=八雲塗やま本提供 桐と鳳凰の文様を表現した、坂田平一作「八雲塗桐鳳凰文会席膳」=松江歴史館所蔵 展示してある、明治、大正時代の八雲塗作品の一部=松江市末次本町、八雲塗やま本 坂田 平一の歩み

文様鮮やか、独自の手法

 松江(まつえ)の代表的工芸品として知られる八雲塗(やくもぬり)。明治時代中ごろ、漆塗(うるしぬ)り職人(しょくにん)(=塗師(ぬし))の坂田(さかた)平一(へいいち)(1843~1908年)が中国の漆器(しっき)づくりにヒントを得(え)て、使うほどに鮮(あざ)やかに文様(もんよう)が浮(う)かび上がる独自(どくじ)の手法を考案しました。

 平一は江戸(えど)時代の後期、現在(げんざい)の松江市西茶町(にしちゃまち)で代々、松江藩(はん)のかご塗り職人の家に生まれました。

 明治時代になって、かごから人力車(じんりきしゃ)に代わり仕事がなくなっていたころ、中国製(せい)の優雅(ゆうが)な漆塗り技法(ぎほう)に心ひかれて漆器を試作します。

 平一は作品づくりに精(せい)を出しました。しかし、作品は中国製の漆器として販売(はんばい)され、残念がった関係者が国産品として広めようと、名称(めいしょう)を考えます。

 知恵(ちえ)を出し合った結果、「スサノオノミコトが新婚(しんこん)の妻(つま)をこもらせるための新居(しんきょ)の宮をつくろうよ」との内容の島根にゆかりがあり、最古の和歌(わか)とされる「八雲立つ 出雲八重垣(いずもやえがき) つまごみに…」にちなんで、島根県知事の籠手田(こてだ)安定(やすさだ)らが「八雲塗」と命名しました。1887(明治20)年ごろのことです。

 知り合いを通して平一の漆器を手にした安定からとても褒(ほ)められ、花台(かだい)、盆(ぼん)、会席膳(かいせきぜん)などの制作依頼(せいさくいらい)を受けました。

 八雲塗は、牡丹(ぼたん)の花などの繊細(せんさい)な文様を描(えが)いた上に漆を塗り重ね、研(と)いで磨(みが)く作業を繰(く)り返して仕上げます。

 大正から昭和にかけて最盛期(さいせいき)を迎(むか)え、さまざまな色漆(いろうるし)の開発や職人の増加(ぞうか)によって多様な八雲塗が受け継(つ)がれました。1928(昭和3)年には制作場が県内に97カ所あり、職人は142人いたそうです。

 魅力(みりょく)を幅(はば)広く伝えていこう、と1981(昭和56)年、島根県ふるさと伝統(でんとう)工芸品に指定されました。県内で現在、松江市と出雲市の2カ所で制作。八雲塗やま本(松江市末次本町(すえつぐほんまち))では、従来(じゅうらい)の器(うつわ)のほか、若(わか)い職人がガラスなどの素材(そざい)や万年筆(まんねんひつ)、マスク入れ、イヤリング、ブローチなどに新しいデザインを取り入れた作品づくりにも挑戦(ちょうせん)しています。

 しかし、絵師(えし)も塗師も少なく技術(ぎじゅつ)の継承(けいしょう)が大きな課題になっています。